堅山南風『梅』24年作 旧三越取扱シール 約F6 原画 真作保証 タトウ箱

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☆作品について 巨匠堅山南風作『梅』デッサン画を入手致しました。 上手いよねぇー昔の作家で有名な日本画画家や洋画画家の方々は色の使い方がうま過ぎますよね、色に頼らない感じ、技術でみせる感覚。 作品に対して全体的な調和感・独特な雰囲気・幻想感・リアリティー・色彩感覚・五感、全てを作品に注入・入魂。 その作品を見て如何に広まり支持されるかに掛かってる訳だ。亡くなってからも残る、名前や画歴、遺産。 ☆東京文化財研究所 東文研アーカイブデータベースより ☆ 堅山南風 没年月日:1980/12/30 分野:日, 画家 (日)  日本画壇の長老で芸術院会員の堅山南風は、12月30日午後3時39分、肺炎のため静岡県田方郡の別荘で死去した。享年93。同月24日の停電で暖房が切れ、この時ひいた風邪をこじらせたものであったが、寝込む直前まで絵筆をとっていた。南風は、1887(明治20)年9月12日父武次郎、母シゲの三男として熊本市に生まれ、本名熊次。早く父母を亡くし祖父のもとで育ち、土地の画家福島峰雲に師事、1909年上京し同郷の高橋広湖の門に入った。翌年巽画会に絵巻物「風の往来」を出品して褒状を受けるが、文展には4年連続して落選、13年の第7回文展出品作「霜月頃」はそれまでの歴史画から一転し、紫紅らが押し進めた色彩美を重んずる新感覚的画風への接近を示す作品で、大観の強い推薦により二等賞となった。しかし審査をめぐる意見の食違いから大観は文展審査員を辞し日本美術院を再興、南風もまた美術院に走り、大観を師として仰ぐ、美術院に入った当初スランプに陥り、古径や青邨・靫彦らの陰に隠れた感があったが、写生の基本に戻り次第に花鳥画に活路を見出すようになる。22年第9回院展「桃と柘榴」あたりから作品は充実の度を加え、24年には同人、以後「魚楽図連作」(26年)「夏題十趣」(27年)「銷夏帖連作」(29年)「射翠帖連作」(34年)などを発表し、気負いのない「知足安分」の画境を展開した。戦後45年、日展への参加要請を日本美術院が受諾した、米寿の75年にはタヒチへ写生旅行をして色彩は一層鮮明になり、最期まで若々しさを失わなかった。58年芸術院会員、63年文化功労者、68年文化勲章を受章、69年には熊本市名誉市民となっている ☆記載しきれません。

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